初詣の願い事はダメなのか、おすすめなやり方や種類についての意見

この記事は約 8 分で読めますよ。

初詣に行って願い事をする、これは日本中で見られる光景です。
ただ、この初詣での願い事が本当にいいものなのか、個人的にはすごく疑問に思っているんですよね。



初詣の願い事はダメだと考えるようになった

あらかじめ書いておきますが、今回の記事の内容に根拠とかそういうものは一切ありません。
願い事自体が叶うかどうかなんて科学的に解明できないものですから、この記事で書いているのはあくまで個人的な考えですね。

本題に入りますが、私も昔は初詣に行っては「彼女が欲しい」とか「お金持ちになりたい」みたいな願い事をしていた記憶があります。
どんな願い事をしたのかすら、次の年の初詣の時にははっきりと覚えていないような有様でしたね。

願い事が叶うか叶っていないかで言えば叶っていなくて、20代後半くらいは本当に惰性で初詣で願い事をしていたような気がします。
この記事を書いているのは2017年9月末ですが、本当にここ1年くらいに「願い事ってダメなんじゃないかな」と思ったわけです。

何で願い事が叶わないか、それは努力せずに願い事を叶えて欲しいみたいな精神性じゃないかなという結論に達しました。
上で実際の願い事について触れましたけど、あれを正確に書くならこんな感じなわけですね。

  • (特に自分磨きはしたくないし声もかけないけど)彼女が欲しい
  • (何の苦労もなく)お金持ちになりたい

私は苦労は買ってでもしろなんて意見の持ち主ではないですし、むしろ楽に楽に行きたがる方ですけど、それでもちょっと自分勝手過ぎたなって思うわけですよ。
当然ながら、私以外がどんな感じで願い事をしているのかは分かりませんが、私みたいに「努力なしで」って但し書きがつくような願い事が多いのではないかなと思います。

初詣の願い事はせずにこんなやり方を

願い事をするのがダメなら初詣に行く意味なんてない、そんな風に感じられるかもしれませんね。
私の場合、今年の初詣では願い事はせずに目標を宣言するという形でお参りをしてきました。

二礼二拍手一礼のやり方自体はいつもと同じなのですが、手を合わせている時に願い事をせずに「今年は○○を頑張ります」みたいにしたんです。
これで何かが変わったかと言えば、実際のところ現時点では特に大きな変化はありませんね。

そもそも願い事をしていないのですから変化がなくて当たり前ではありますが、努力は継続できていますよ。
神様の前で「やります」って言った以上、努力をやめるって選択肢は出てきませんので、効果はあると思います。

その努力が実を結ぶかどうかはまだ分かりませんが、来年も同じように何か(内心で)宣言してこようとは思っていますね。
あと、変わったことと言えば、今年は初詣だけじゃなくもう1回神社の方に行ってお礼参りをしてきました。

ヤンキー漫画の影響かお礼参りと聞くと「復讐、やり返す」的な意味を思い浮かべてしまいますが、お礼参りは願い事が叶ってから神社にお礼に行くことですね。
私の場合は願い事をしていないので厳密にはお礼参りではないのですが、誕生日に報告を兼ねてお礼参りに行きました。

これも心境の変化が主な理由で、初詣だけ神社に行って翌年までほったらかしってどうかなと思ったからですね。
お礼参りでは、二礼二拍手一礼で手を合わせている時に「初詣の宣言は今でも続いています」的なことを報告しました。

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願い事に正しいとか間違っているとかそういのはありませんが、個人的には願い事ではなく決意表明の方がいいと思いますよ。
やっぱり年明けに決意表明しておけば努力する気になるものですし、完全に神様任せの願い事をするよりはいいんじゃないかなと感じているわけです。

初詣の願い事に向いている種類と、そうでないもの

ここまでも主観的な意見をだいぶ書いてきたわけですが、ここからはさらに主観的にしたいと思います。
私は願い事を全否定しているわけではなくて、努力で何とかできるところは努力しようってのが基本的な意見です。

度を越したお金持ちになるには「宝くじに当たりますように」みたいに神頼みするしかないかもしれませんが、基本的には自分の力で何とかしましょうってことです。
やや脱線しますが、年末ジャンボ宝くじや年末ジャンボミニの確率の話はこちらの記事でまとめているので、ぜひチェックしてみてくださいね。

話を戻しますが、初詣で願い事をするなら自分自身の努力ではどうしようもない部分について願うのがいいと思っています(この記事の中でも特に根拠がありませんが)
恋人が欲しいなら自分自身を磨いたり積極的に声をかける、お金持ちになりたいなら出世を目指したり起業を検討したり副業を始める、こんな感じに自分自身のことについては色々とやれることがあるはずです。

健康についても自分自身については生活習慣を改めるなどである程度はカバーできますが、事故とか、家族の健康状態は自分自身で何ともできない部分ですよね。
自分自身や家族の息災を願う家内安全は初詣の願い事の定番ですが、初詣に神頼みするならこれなんじゃないかなと思います。

広い意味では家内安全に入るかもしれませんが、1人ではどうしようもないという意味では子宝祈願なんかもいいのではないでしょうか。
逆に、恋人が欲しいといった出会い系の願い、あの大学に行きたいといった合格祈願、お金持ちになりたい的な願い事はしない方がいい気がしますね。

これらの願い事をするなら、それこそ限界まで努力を続けていて本当に神頼みしかすがれるものがない、そんな場面に限定した方がいいと思います(なかなかそんなシチュエーションは思い浮かびませんが)
これらの願い事を神頼みするよりは、努力しますので見守ってください的な感じで神様に目標を宣言する方が頑張れるはずですよ。

最近炎上していた「とら婚」の広報Twitterも、もしかしたらこういうことが言いたかったのかもしれません(蛇足)

まとめ

願い事をしてきたけどまるで叶わなかった、そんな場合こそ願い事を見直してみる機会かもしれません。
あくまで私の考えなので間違っているかもしれませんが、自分自身の努力で目標を叶えることを第一に考えてみてはいかがでしょうか。


この記事のポイント
・努力しないけど願い事を叶えて欲しいというのは自分勝手な気がする。
・初詣では願い事をするのではなく、目標を宣言しに行く。
・初詣で願い語をするなら、努力ではどうしようもない家内安全がいい気がする。
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